活字好きの本のお話

図書館や大好きな本の話、読んだ本の感想など、駄文で綴ってまいります。

8月なので

8月になって、暑さも一層増して、夏本番と言った感じ。

海に山にと出かける人も居れば、

私のように”貧乏暇なし”で、仕事ばっかりの人間もいる。

それでも、来週辺りからは、電車は休日ダイヤになり、

間引かれて本数が減っている上に、車内は空席が目立つようになる・・・。

みな、帰省や行楽などにお盆休みを取るのだろう・・・。

 

私事ではあるが、8月は誕生月である。

しかも・・・誕生日は終戦記念日ときている。

誕生日を尋ねられ、答えると、必ずと言っていいほど困惑した顔をされる。

で、幸か不幸か、よく覚えて貰える。

 

幼少の頃の思い出は、自分の誕生日には、我が家に親戚が集い、

飲めや歌えの大騒ぎとなるのが常だった。

帰って来る祖先の御霊と共に、酒を酌み交わしてでもいたのだろうか?

兎に角、私の誕生日はみなの記憶の片隅に追いやられ、

人が不貞腐れて眠っている頃に、やっと思い出して貰える、なんて調子だった。

TVのチャンネルを捻っても(あ・・・今は捻らないね^^;)、

戦争の特集ばかりで、子供心に『お盆はつまらん!』と思っていたものだ。

 

お盆の中日が終戦記念日なんて・・・なんという巡り合わせなんだろう、と思う。

それでなくても、祖先の御霊に手を合わせ祈る時期なのに、

戦場に散った兵士の英霊や、空襲や侵攻の為に犠牲になった人たちの御霊にも、

祈りをささげる事となったこの国。

私達は戦争を知らない世代で、関係の無いような振りして生きているが、

彼らの犠牲なくして、私達はこうやって安穏と生きてはいられなかっただろう・・・。

 

戦争を体験した亡き父にとって、この終戦記念日は『敗戦』以外なにものでもなかった。

多感な時期を戦争と共に生きた世代・・・

親に向かって言うのもなんだが、不運な時代だったと思う。

その父に向かって、私は『戦争が終わって、平和に向かう日じゃろ?』と言ったことがある。

あの時の父の表情はかなり複雑なものだった。

そう簡単ではなかった・・・筈である。

しかし、自分の誕生日である私は、そうあって欲しいと願ったのだ。

 

戦後68年・・・あの当時を知る人は段々と少なくなっている。

中学生だった母も80を超えているのだ・・・出兵した人など、もっと上なのだ。

戦争という狂気の時代を、これから先、誰が語っていけるのだろうか?

経験していないからその役目ではない、私達はそれでいいんだろうか?

自分達は平和しかしらないから、敢えて戦争など語らなくていいのだろうか?

自分の子供達が戦地に向かう、なんてこと、起きて欲しくない。

だから、やはり私達は知っておかなきゃいけないんだと思う。

 

その目的で、ではないが、今、この本を開いている。

 

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

 

特攻隊員ながら、生きて帰りたいと望んだ男・・・

狂気の時代であっても、持ち続けた人間らしさ。

まるで不毛の地に咲く、小さく微かな花のようだ・・・。

これから先、どんな展開になり、私がどう感じて行くのか・・・

戦争と言う真実を突きつけられる不安、

狂気と戦い続ける正気への期待、

読み進むのが少し怖い・・・ でも読まねば、と思う。

これが例えフィクションであっても、知らねば、と思う。