活字好きの本のお話

図書館や大好きな本の話、読んだ本の感想など、駄文で綴ってまいります。

苦手だった京都

大阪に移って12年弱、色々と足を伸ばしたが、

どうしても・・・なかなか自ら行く気持ちが起こらないのが、京都である。

誰かのお供とか、お呼ばれすれば何とか重い腰も上がるが、

自分で企画して、とか、そういう自発的にはどうしても赴くことが出来ないでいた。

凄く私的な、しかも言えば笑われるような単純な理由だが、

それでも自分にとっては、かなり苦い思い出の詰まった場所なのである。

 

嫌いなのか?と聞かれれば、否、である。

どちらかというと好きである。街の雰囲気などはほぼ自分の好み。

鰻床の町家などは、実際暮らしてみたいと思うくらい好きだ。

 

先日、仕事で大村しげの資料を拝見する機会があった。

今の”断捨離”ブームとは正反対、すべて大事に扱われたありとあらゆる物、

それらがすべて保存されていた。正直、厄介だった。

しかし、そこに見え隠れする京都という街の片鱗のようなものを、

少しずつ感じながら作業をしていたら、

知らず知らず、京都の神社仏閣や、儀礼や祭りなど色々調べることとなり、

結局のところ、この町のことに、どっぷり浸かってしまっていた。

 

なんだか、罠に掛かったようだった・・・(苦笑)

 

本当は好きだけれど、正直に好きと言えない気持ちのほうが、

今までは自分の心の中で占めていたんだろうと思う。

でも、そこで実際に生きる人たちの姿、伝統を重んじる心、

背景にある長き歴史など、一つ一つ肌で感じてみれば、

京都という街の魅力のほうが圧倒的であることは、敢えて語る必要もない。

自分の持つ苦手意識の原因など、そこらへんに転がる石ころみたいなもんだ。

そんなもんは、思いっきり蹴り飛ばして、どっかの池にでも沈めてしまえばいい・・・。

(理想は琵琶湖だが・・・汗)

 

勿論、この街特有の雰囲気も、自分の気持ちにストップを掛けていた。

伝統を重んじる故に、保守的云々・・・という噂。

しかし、そもそも大阪に居ても、自分達は地方から出てきた人間であり、

主人に至っては外国籍なので、日本の何処へ行こうと、”他所の人”だ。

この際、この点を逆手にとって、この街を客観的に楽しむ、

そんなことも可能じゃないだろうか?

 

小さな切っ掛けが、こんなにも自分の気持ちに働きかけるものかと思っている。

大村しげの所持品に触れることがなかったら、

今でも私は『京都が嫌い』と言っていただろう。

本当にちっぽけで、そこら辺に転がっていて、場合によってはホカされるようなもの、

そんな物たちにも愛着を持って、大事にしていた大村しげの暮らしは、

私の理想像の1つになったような気がする。

 

大村しげ 京都町家ぐらし (らんぷの本)

大村しげ 京都町家ぐらし (らんぷの本)