活字好きの本のお話

図書館や大好きな本の話、読んだ本の感想など、駄文で綴ってまいります。

暴風雨の中

台風17号が、現在関西の間近を通過中である。

当然、猛烈な雨風で外に出ることも、窓を開けることも出来ない。

そう、缶詰状態、まさしくしっかりと小さな自宅に詰め込まれている。

子供は散髪に行きたいといい、私は食材を買いに行きたいと思うが、

そんな気持ちを全く無視して、風は吹き荒れ、雨は街に降り注いでいる。

 

正直・・・退屈。

 

仕方ない、そんなフレーズを使うととても失礼だろうが、

本来いろんな物事を片付けたりできる日曜日に、この台風なのだから、

選択としてはやはり『仕方なく』なのだ、ごめんよ、

 

読書している。

 

そして、言い訳がましくやってる読書で手にとられた、

『まぼろしの大阪』(坪内祐三著)・・・これまた、ごめんなさい。

 

だが、もう謝らない!

 

面白い、この本。

 

仕事の関係から大阪に深く興味を持ち始めた著者が、

そこかしこにちりばめるのは『昔の大阪』。

古本や著者の記憶を通じて触れる、

まさに、『まぼろしの大阪』が其処彼処に登場する。

 

流石に難波宮までもどらない。

埋め立ても進んで、電車も走りはじめた時代、

明治・大正・昭和の頃、いわゆるまさしく商人(あきんど)が居た時代。

大阪らしい熱気や躍動感が感じられた、そんな時代なんだろうと思う。

 

そういえば・・・私が始めて大阪を訪れたころ、それは小学3年、

今は亡き伯父夫妻に連れられ、大阪のいろんな場所へ行った。

伯父の奥さんの生まれた町・本町やら、そこから南に下って難波やら、

どこへ行っても人が多く、どこへ行っても煌びやかで、

田舎から出てきた小学生にとっては、五月蝿くてしんどい街、にしか思えなかった。

折りしも季節は夏・・・ 湿度の高さに、視界が歪みそうだった。

今より遥かに低い視点から見上げた道頓堀のネオンの眩しさ、

どこからこんなに人が集まってくるんだろう、と思わせた喧騒・・・

その五月蝿さ、にぎやかさ、暑さ、だるさ・・・ 

今思えば、これが大阪(らしさ)なんじゃないか?

 

再度訪れた頃、私は既に26になっていた。

そのころ大阪は、かなりの大阪らしさを失っていたような気がする。

本来、街一つ一つに歴史があり、趣があり、そこに息吹も感じられた。

しかし、どこにも同じようなビルが建ち、同じような店が並び、

(これは大阪に限らず、地方都市、何処へ行っても感じる)

その街の特色が失われつつある・・・ 結構深刻に。

活気を失った街や通りが、復興を謳って再構築を試みるが、

それでどれだけのものを失うのだろう?と不安になる。

判をついたように同じスタイルの店、何処へ行っても同じ雰囲気。

今、自分が何町に、何通りにいるのか・・・わからない。

 

今では記録の中でしか触れることの出来ない大阪への、

たくさんのヒントがこの『まぼろしの大阪』という本の中に散りばめられている。

ん?文章から言えば・・・ ばら撒かれている、が良いか?

それらを一つ一つ丁寧に拾い上げ、組み合わせれば、

単に空想に過ぎないかもしれないが、

昔懐かしい大阪の街を作り上げることが出来るんじゃないだろうか?

そんな期待が自分の中に生まれてきた。

 

台風といわれても、大概こっちの人は高をくくっている。

しかし今回は相当荒れている。

窓から見える風景は、そんな人々を窘めているようだ。

こんな台風が私に大阪発見のチャンスをくれた、大袈裟に解釈しよう。

でも、この台風が来なかったら・・・ うん、大袈裟ではないだろう。

 

まぼろしの大阪

まぼろしの大阪