誰が”悪人”だったのだろう?
現在も上映中の映画『悪人』の原作を読了致しました。
正直申しますと、主演の妻夫木君、嫌いではない、むしろ好感を持ってまして、
それ故に、映画公開前からこの本は読んでみたかったわけです。
W主演の深津絵里さんがどんな演技力が買われて大きな賞をとったのか、
彼女が演じる女性が、どうこの物語を動かしていくのか…
色んな視点から、この作品に興味を持ちました。
この物語、舞台が九州。
被害者の女性が住んでいたのは福岡、
逃走する犯人・清水祐一は長崎の小さな海沿いの町に住んでおり、
共に逃走する馬込光代は佐賀在住。
全編通して会話は九州の言葉で綴られています。
長崎の街の描写は、かなり詳しくなされていました。
まがりなりにも9年も過ごした街・長崎、
見知った地名、よく通ったと思しき通りの描写、
私自身も入院した経験のある市民病院…
頭の中で思い浮かぶ情景に、馴染みある言葉の響きが加わって、
とても臨場感といか、現実味の強い作品でした。
ネタバレしないように感想をば。
人間だれしも”悪”の部分をもっているとおもいます。
それをどれだけ自分自身でコントロールしていくか、
それに悩み苦しむからこそ、人間だと思うのです。
悪の行為が、何ゆえに生まれてしまうのか、
その行為に、どれだけの罪悪感を感じられるか…
そこに”悪人具合”の大小の差があるんじゃないかな…と。
この話では、1人の女性が1人の男性によって殺されてしまいます。
単純にこう書いてしまえば、犯人である男性が悪い。
でも、どうしてこの男性がこの行為に至ってしまったのか?
原作を読んでいるうちに、逆に一番純粋に生きていたのは、
この犯人自身なんじゃないか、なんて思えてきます。
殺された女性の父が口にしていた、
大事な人がいない人間が、世の中多すぎる、
大事な人がいなければ、失うことも怖くない…
そして、犯人・祐一が言っていた、
自分を信じてくれる、そんな大事な人がいることがわかって、
自分は殺人犯なのだと知った…
こんな感じだったでしょうか、兎に角、この言葉達はじ〜んと来ました。
そして、これはここでは書けませんけれど、
祐一が、捨てていった母に逢いに行ってはお金をせびった理由。
この理由が、結局はこのお話の結末を導いているんだと…。
そう考えると、このお話は余りにも悲しい。
愛娘を失った被害者の親も、可愛がった孫と愛する夫を失った犯人の祖母も、
愛する人が殺人犯だったゆえに逃亡を望んだ女も、
みんな大事なものを失いました。
被害者がついた嘘と、抑えられない若者(犯人に非ず)の苛立ちが、
結局、皆から大事なものを奪い去る事件と導いたのなら、
本当に悪いのは、この2人なんじゃないかな、なんて思いました。