間もなく8月15日
今日のこのブログを書き終わるころには、
日付も変わって、8月15日、終戦記念日となっているだろう。
日付が変わる30分前、『永遠の0』を読了した。
- 作者: 百田尚樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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自分の気持ちの中で、”どうしても8月15日までに・・・”と思っていたので、
今こうやってこの本の感想が書けることを、少しだけ嬉しく思う。
架空の人物・宮部が主人公だが、全編通して、
日本と言う国が経験した最後の戦争の事実が織り込まれている。
(最後、と言う言葉に自分の希望も含まれている)
その一つ一つを読むにつけ、自分がどれほどあの戦争に対して無関心であったか、
いや、無関心を装っていたかを痛感させられた。
幼少の頃より、8月になると、メディアはこぞってあの戦争をテーマに、
様々な記事、番組を発信していた。私も幾つかは目にした。
でも、それらはただただ恐ろしく、過酷で、残忍で、悲惨で・・・
正直言ってしまえば、耐え難いものだった。
戦争を経験していない私達世代は、そうやって目を背けてしまえば済むことも、
実際経験した私達の親の世代にとっては、れっきとした記憶の一部だ。
目を背けたくても、忘れたくても、消し去る事の出来ない記憶だ。
これは実際、その時代に生きた者でないと分からない時間、時代だっただろう。
今まで全く象られることのなかった亡き祖父・宮部の姿を、
同じ時間を過ごした人々の断片的な証言を繋ぎ合わせて、形づくっていく孫2人。
ある者は臆病者と非難し、ある者は優秀なパイロットと賛美する。
全く違う見解から生まれた祖父の姿の欠片一つ一つを組み合わせるのは、
これがノンフィクションであっても、かなり難しいことであろうと思う。
この作品に対するとあるレビューで、感情移入が出来ない等の意見もあったが、
それは仕方ないのでは、と思う。
主人公が自ら語るシーンは1つもないのである。全て周囲の人間の証言だ。
各々の主観が交じり、宮部本来の姿が鏡のように映し出されるわけではない。
この話の進行役である孫2人にとっても、100%祖父の気持ちが分かったとは言い切れまい。
全ては憶測の域を出ない・・・ 真実をしるのは宮部1人だ。
戦記を沢山読んでいる人にとっては、物足りない部分も多いだろう。
だからこの作品の評価は真っ二つに分かれる。
戦争の生々しさを訴えるものでもなく、反戦を強く謳ったものでもない。
この作品の大筋は、やはり1人のパイロットの人間ドラマだ。
生き証人たちの断片的な証言をつなぎ合わせた先に、宮部のおぼろげな姿がある。
生きて帰ることを許されなかった特攻で、生きて帰りたかった宮部。
何故そんな宮部が特攻を選んだのか・・・ あの戦況、あの状況では、選んだのではない。
あの時代にパイロットであることは、イコール特攻だったのだ。
教官時代、飛行訓練中に敵機の攻撃を受けた際、教え子に命を救われた。
それまで自分の腕で生き残ってきた宮部にとって、その時に死んだも同然だ。
そして自分が特攻で飛び立つ間際に、その教え子と再会する・・・。
これ以上書くとネタバレになってしまうからこの辺りで・・・。
読み終わって、泣いたか?と聞かれれば、答えは『イエス』だ。
でも何に泣いたのかが不鮮明だ。
最終章の因縁めいたドラマの展開には若干落胆したが、
宮部が最後の飛行に赴くにあたる下りは流石に泣けた。
色んな誤解や批判を受け、衝突を繰り返しつつも、
あの現場に居合わせたもの1人1人と、真剣に飛んでいたことが心を打つ。
何もかもが曖昧な今の時代、
零か百かの戦時中の事など、どうやったて分かるはずもない。
こんな究極の選択を強いられず生きていける時代に生まれた事を、
心から喜ぶべきだ。
私達にはいくつも生きる選択肢がある。
それが無い時代が、嘗て本当にこの国にあった。
それが幻想の様に思える安堵感と、未だに抱く恐怖感から私は泣くのかもしれない。
ただ、恐怖に関しては、幼少の頃とは違う点が1点ある。
私は息子2人を持つ母親だ。
この子達が、こんな究極の選択を強いられる時代に直面して欲しくない。
そう思って、読み終えた本を閉じた。